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裏切りの日ってどんな記念日?由来はあの歴史的大事件だった!

記念日”というと、
ポジティブ
イメージがありますよね。

実際なにかのお祝いであったり、
新しいもの良いもの
広く世の中に伝えていこう!

という趣旨の記念日は
とても多いです。

しかしそんな記念日の中にも、
ダークなものは存在します。

その名も裏切りの日

まあ記念って
お祝いという意味では
ないんですけど…

それでも裏切りなんて
記念しちゃっていいのかって
気もしますが…

しかし、とにもかくにも
毎年6月2日裏切りの日

それでは裏切りの日とは、
どんな記念日なのでしょうか。

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裏切りの日の由来って?

裏切りの日の由来になったのは、
有名な歴史上の事件です。

その事件とはずばり、
戦国時代に起こった本能寺の変

歴史の授業などで、
一度は聞いたことがありますよね。

本能寺の変を
ざっくりと説明しますと…

武将の明智光秀が、
主君だった織田信長を裏切り
襲撃したという事件。

その舞台になったのが、
京都にあるお寺・本能寺でした。

本能寺の変が起こったのが、
1582(天正10)年6月2日のこと。

ここからとって裏切りの日は
6月2日と定められたんですね。

 

裏切りの日の由来…本能寺の変とは

さてざっくり説明しましたが、
本能寺の変について
もう少し詳しく見てみましょう。

いわゆる上司と部下だった
織田信長明智光秀

のほほんとお茶会をするために
京都へ出向いて、
本能寺に宿泊していました。

するとこちらも織田さんの部下である
羽柴秀吉(豊臣秀吉)から

「戦が上手くいってないんで援軍ください

という連絡が来ます。

これに対して
織田さんはすぐに

「お前さん出張行ってきてくれ」

と、明智さんを羽柴さんのもとへ
向かわせたんですね。

しかしこれが間違い…
明智さんは出張に行ったかと思いきや
クルッと本能寺にUターン

そのまま本能寺を襲撃します。
それも就寝中を狙って襲撃。
警備の薄かった本能寺 大 パ ニ ッ ク

本能寺が攻撃を受ける中、
織田さんは
付き人の森蘭丸と話します。

 

織田「やだ何これ。誰に襲撃されてんの」
蘭丸「明智光秀です」
織田「えっ!光秀なの?明智!?」
蘭丸「さようでございます」
織田「マジかよ。是非もなし」

 

是非もなし(=仕方ない)と言うと、
織田さんは本能寺に火を放ちました。
そして自ら命を絶つのです。

明智さんがなぜ
謀反を起こしたのかは不明

しかも焼けた本能寺の跡から、
織田さんの亡骸は
一切発見できなかったそうな。

こういったことから本能寺の変は、
歴史上の出来事の中でも
特に謎が多い事件とされています。

本能寺を襲撃したのは
明智さんじゃなかったとか、
実は織田さんは
生きていただとかですね…

謎が多い分、
いろいろな説も流れています。

しかしやはり定説になっているのは、
明智さんが織田さんを裏切り
謀反を起こした

というストーリーなのです。

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裏切りの日には歴史や自分と向きあう?

裏切りの日由来は、
歴史的な大事件である
本能寺の変でした。

なかなか壮絶な由来をもつ、
一風変わった記念日なんですね。

裏切りの日を
どうやって過ごすか
ちょっと難しいところですが…

史跡めぐり等をして、
記念日の由来に
触れてみるといいかもしれません。

また裏切りという言葉を
反面教師にして

誠実に生きねば!

なんて心に決めるのも、
とてもすてきだと思いますよ。

 - 6月, 記念日