2月26日は脱出の日!?あの皇帝が由来って?
様々な記念日をまとめている当ブログ。
記念日についてリサーチをしていると、
ときには「なにこれ!?」と叫びたくなる
謎な記念日に遭遇することもあります。
今回の脱出の日もそんな
なにこれ!?な記念日のひとつ。
「脱出の日」と聞いて、
「あー、あの日ね」となる人は
日本にどれくらいいるんでしょうか・・・
名前からはさっぱり内容が想像できない
脱出の日。
ですが調べてみると、あの有名人に関する
歴史的な記念日でした。
今回は謎多き脱出の日について
由来とマメ知識を紹介します!
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脱出の日の由来!
脱出の日の由来は1815年2月26日、
ナポレオンが流刑先の
エルバ島を脱出したことに由来します。
意外とまじめな歴史の話に由来していて、
正直びっくりですね。
「余の辞書に不可能の文字はな~い」
でおなじみのフランスの皇帝、ナポレオン。
いち軍人から立身出世を繰り返し、
ついにフランスの皇帝にまでなってしまった
稀代の英雄です。
その晩年が脱出の日と関係してきます。
ナポレオンは皇帝として各地に
戦争をふっかけていった結果、
イギリス、ロシア、ドイツなどの連合軍に
袋叩きにあってしまい、
皇帝の座を追われることとなりました。
そして、島流しの刑にあうことに。
その流刑地として選ばれたのが
イタリアの中ほどにあるエルバ島。
1814年のことでした。
しかし、転んでもただでは起きないのが
ナポレオン。
ナポレオンがいなくなった後の
フランスの混乱を聞きつけるや否や、
エルバ島を脱出してしまいました。
そして、華麗にパリに舞い戻ったのです。
それが、1815年2月26日。
これに由来して2月26日は
脱出の日、というわけですね。
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脱出の日、その後
2月26日にエルバ島を脱出して
皇帝の座に返り咲いたナポレオンですが、
その後はどうなったかといいますと・・・
再び連合軍にフルボッコにされ、
皇帝の座を追われ、
アフリカのかなたのセントヘレナ島に
流されてしまいました。
脱出に成功してから
再び皇帝の座を追われるまでが
100日に満たないことから
「ナポレオンの100日天下」
といわれています。
無事脱出できたからと言って
ハッピーかというと
必ずしもそうでもなかったですね。
本当にこの日記念日でいいんだろうか・・・
ナポレオンと愉快なマスコミ
また、ナポレオンが
エルバ島を脱出してからの新聞の見出しが
次のようなものだったそうで
・怪物、流刑地を脱出(2/26)
・コルシカの狼、カンヌに上陸(3/1)
・王位簒奪者、グルノーブルを占領(3/7)
・悪辣皇帝、リヨンに。
恐怖のため市民の抵抗はなし(3/10)
・ボナパルト、北方へ進撃。
速度増すもパリ入城は不可能か(3/17)
・ナポレオン氏、明朝パリへ(3/19)
・皇帝陛下、パリへ帰還。皇帝万歳(3/20)
と、どんどん好意的な表現になっていくのが
笑いを誘います。
怪物→コルシカの狼→王位簒奪者→悪辣皇帝
→ボナパルト(呼び捨て)→ナポレオン氏
→皇帝陛下
とまあ、ひと月弱の間にここまで手のひらを
返せたものです。
諸説あるネタではありますが、
当時の雰囲気が伝わってきて
なんだかほっこりしますね。
あの名言の真相!
最初に、ナポレオンを紹介するとき
「余の辞書に不可能の文字はない」
という言葉を引用しましたが、
実はこれ前置きがあるんだそうです。
それが
「不可能は小心者の幻影であり、
権力者の無能の証であり、
卑怯者の避難所である。」
というもの。
なにやらかっこよさげですね。
不可能とは自分が作り出すもの。
できないと嘆く前にできるようになる方法を
考えよう、ってことでしょうか。
余の辞書に~だけ聞くと
ずいぶん傲慢な感じを受けますが、
この前置きが入ることで
いろんな「不可能」を
乗り越えてきたナポレオンの
意志の強さを感じる言葉になりますね。
2月26日は脱出の日!?まとめ
・2月26日は脱出の日!
・由来はナポレオンがエルバ島をこの日に脱出したから!
・脱出できたからハッピーとは限らない
リサーチを始めた当初は
なにこれ!?の連続だった脱出の日。
ですが、調べれば調べるほどに
ナポレオンというキャラクターの魅力を
発見することができました。
エルバ島を脱出したことで、
ナポレオン本人が幸せになったかというと
決してそういうわけではありません。
それでも記念日として祝われているのは、
それだけナポレオンがみんなに愛されていた
ということだからではないでしょうか。
多くの人に求められ、
不可能を乗り越え続けてきた
稀代の英雄、ナポレオン。
2月26日は不可能と戦い続けた
不屈の男について思いを巡らすのも
いいかもしれません。