はてなスッキリ

日常の疑問をスッキリ解決します!

*

黒船来航の理由や背景を解説!幕府vsペリーの行方は?〈前編〉


幕末の始まりといわれる
黒船来航

要約すると

アメリカの船
日本に突撃してきて
開国を迫った”

という事件です。

非常に有名な出来事ですが、
なぜアメリカ
開国を要求したのか?

その理由背景
意外と知られていなかったりします。

そこで今回は、
黒船来航について
解説していきたいと思います!

Sponsored Link

 

黒船が来航した時代の世界と日本

日本に黒船がやってくるのは
1853年江戸時代のことです。

当時の日本は鎖国をしていたので、
オランダなどの
ごく一部の国としか
関わりを持っていませんでした。

言ってしまえば日本は、
ほぼ引きこもりだったんですね。

その中でたまに
オランダさんたちと

「お荷物ですよー」
「こっちからもお荷物でーす」

とやりとりしてたわけです。

一方その頃、
アメリカヨーロッパの国々は
アジアにある国
競うように貿易を始めていました。

「貿易してくれないなら戦争」
「植民地にしちゃおうかな」

といった具合で、
強気に貿易の幅を広げていく
欧米各国…

そんな流れの中で、
アメリカは
日本にも目をつけたのです。

 

黒船来航の背景

アメリカは
遠い中国へ貿易船を出す際に、
日本の港
中継地にしたいと考えました。

また、今とは違い
がんがんクジラを捕まえていた
当時のアメリカ。

日本に近い海域には
クジラがたくさんいたので、
日本の港が使えると
捕鯨にもとても便利だったのです。

「日本に立ち寄りたい」
「日本で食糧と船の燃料を補充したい」

そう考えるアメリカ。

なんといいましょうか、
日本はサービスエリアのように
とらえられていたんですね。

休憩して食事とガソリン確保!
といった雰囲気です。

そんなこんなでアメリカは

「港使わせてよ」
「というか開国してよ」

と日本に直談判しにきます。

それが
黒船来航というわけです。

Sponsored Link

 

来たる黒船

1853年6月3日
ついに浦賀湾(現在の神奈川県)に
アメリカの軍艦4隻
つまり黒船が現れました。

この軍艦を率いていたのが、
有名なペリー提督です。

軍艦は黒船と呼ばれるとおり
船体が真っ黒で、
日本の船よりはるかに巨大なもの。

そして高性能な
大砲まで積みこんでいました。

外国の情報に疎かった幕府は、
蒸気船の存在や
その高い技術力に驚きます。

しかもペリーさん、
空砲をバンバン撃ってみたり
勝手に海岸線の測量を始めてみたりと
なかなか威圧的な態度

正直幕府は、
ペリーさんがものすごく怖いのです。

ただペリーさんも
いきなり戦争を
仕掛けにきたわけではありません。

大統領から
お手紙を預かってきましたよ
幕府に伝えるのです。

さてこのお手紙の内容ですが…
こちらは後編で
お伝えしたいと思います!

 

【後編へ】
黒船来航の理由や背景を解説! 幕府vsペリーの行方は?〈後編〉
 

【幕末の歴史の全体像が知りたい!】
幕末ってどんな時代?歴史の流れを簡単に分かりやすく解説!

 

 - 歴史