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新選組結成の理由と成り立ちって?羽織や誠の由来も解説!③

壬生浪士組として、
京都の警備を
始めた近藤さんたち。

しかし超問題児に
色々と頭を悩ませます。

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壬生浪士組の編成

同じ志で京都に残り、
京の警備を会津藩に認めてもらった
壬生浪士組

しかし組内は、
ざっくり2つに分かれていました

近藤さん派と、
問題児・芹沢さん派です。

この間をとるためなのか、
組内の役職を決めたときには

芹沢さん
・芹沢さんと仲良しな新見さん
近藤さん

この三人が並んで局長になるという、
ちょっと変わった編成でした。

副長には、
どちらも近藤さん派である

土方さん
山南さん

がついています。

なんかこう…
いろいろと気を使いつつって匂いが
プンプンしますね。

しかし3人の局長がいても、
筆頭芹沢さんでした。
つまり実質No.1。

この実質No.1が
問題を起こす起こす…

お相撲さんが
道を譲らなかったといって
刀を抜いたりですね。

人のお店をこう…
ボウボウ燃やしてみたり。

組のお金がないとなると、
商家などに出向いていって
無理やり借りたりするんですね。

これでは京都の治安を悪くしている
尊王攘夷派たちと
変わらない
じゃないか…

と近藤さんたちは不満ですが、
実質No.1には何も言えません

そしてこの無理やり借りたお金で、
有名なあの羽織
誠の旗を作っちゃうんですね。

なんだか複雑な気持ちですが…
まあ必要悪…ということで…

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新選組の羽織や誠の旗の由来

新選組の羽織といえば、
浅葱色(水色)の地に
白いだんだら模様が特徴です。

このデザインは、
赤穂浪士モチーフにしたと
言われているんですよ。

赤穂浪士の討ち入りは、
忠臣蔵として有名ですよね。

忠臣蔵では、
切腹になった主君の仇を討つため
赤穂浪士47人が
吉良上野介を襲撃しました。

このときに
赤穂浪士たちが着ていたのが、
だんだら模様の装束だったのです。

主君のために
命を懸けて仇討ちを行った赤穂浪士は、
武士の憧れだったようですね。

そして浅葱色は、
武士が切腹するときに着る
装束の色です。

このことから

いつでも切腹する用意はある
武士として決死の覚悟をもっている…

そういった意味があると
考えられています。

 

また、こちらも有名な誠の旗

赤地に金色か白色で、
誠の文字が描かれています。

この誠の一文字には、
幕府会津藩への
忠誠心が込められているそうです。

また局長である近藤さんは、
江戸にいたころ
試衛館という剣道場を開いていました。

旗が風に揺れると、
誠の文字が試衛館の試に見えるため…
なんてことも言われていますね。

ちなみに近藤さんはこの試衛館で、
土方さんや沖田さん
山南さんといったメンバーと出会います。

同じ志をもって、
仲間と一緒に
京都にやってきたんですね。

 

さて、この羽織や誠の旗と同じ時期に、
壬生浪士組内での
ルールも作られました。

これが局中法度であり、
絶対に破ってはいけない掟です。

内容を見てみると

・武士っぽい振る舞いをしなさい
・一回入隊したら脱退しちゃダメ
・勝手にお金を借りちゃダメ
・争いごとに勝手に決着をつけちゃダメ
・個人的に戦っちゃダメ

などなど5か条

これを破ったら即切腹です。
浅葱色の装束着ようね!と迫られます。
おお怖い…

 

羽織誠の旗局中法度それぞれに、
命を懸けた思い
込められていたんですね。

新選組にはもともと、
近藤さんや土方さんなど
武士の身分ではない人もいました。

だからこそ武士らしさに、
強いこだわりが
あったのかもしれません。

 

さて羽織やルールが
整備されてきた壬生浪士組。

彼らが新選組と名乗る日は、
少しずつ近づいてきていました。

 

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