はてなスッキリ

日常の疑問をスッキリ解決します!

*

新選組結成の理由と成り立ちって?羽織や誠の由来も解説!②

トラブルがありながらも、
江戸から京都へと渡った浪士組一行

しかし清河八郎という人によって、
話は思わぬ方向に転がります。

Sponsored Link

 

浪士組の分裂

浪士組が京都に到着するなり、
清河さんは切り出します。

実は浪士組を作った目的って、
将軍の警備のためじゃないんだよね

全員「???」です。
意味不明です。

そもそも浪士組を
募集しようというのは、
この清河さんが
幕府に提案したことでした。

「浪士組を作って
将軍さまを守りましょう!」と。

しかし清河さん、
実は過激な尊王攘夷派なのです。
つまりアンチ幕府

将軍様を守る気なんて
一切ありませんでした。

ではなぜ浪士組を作ろうと
提案したのかというと…

幕府のお金で浪士組を作らせた後、
浪士組を乗っ取り
尊王攘夷派として活動させよう
していたんです。

策士です策士…
頭のいい人って怖いです…

すぐ江戸に戻って、
天皇様のために攘夷をしよう!

清河さんにそう説かれると、
浪士組のメンバーたちは

「まあ攘夷ができるなら…」
「天皇様に不満があるわけじゃないし…」

と、なんとなく納得ムード。
そのまま清河さんの
思い通りになるかと思いきや…

ここで反論したのが
近藤さん芹沢さんでした。

いや帰らないです。
将軍様のために警備するし

あくまでも京都で
警備をするという近藤さんたちと、
尊王攘夷に一途な清河さん。

斬り合いになりかけるほど
揉めに揉めました。

しかし結局
どちらも意見を曲げなかったので
浪士組は2つに分裂します。

浪士組のほぼ全員は、
清河さんと
江戸に帰っていきました。

そして清河さんに同調しなかった
近藤さん芹沢さん
土方さん沖田さんといったメンバーが
京都に残ることになったのです。

Sponsored Link

 

壬生浪士組(みぶろうしぐみ)の結成

さて本来の目的を忘れず、
京都に残ると決めた近藤さんたち

しかし浪士組の発起人だった
清河さんがいなくなり、
幕府との繋がりはゼロの状態です。

幕府の許可もなしに、
勝手に警備を
するわけにもいきません。

この現状をどうにかしなくては…と、
まず彼らは
スポンサー探しを始めます。

すると京都の警備担当だった
会津藩が力を貸してくれることに。

近藤さんたち一行は
会津藩のお預かりという
立場になります。

あくまで会津藩の
管理下という形なので、
幕府に直接
雇われたわけではありません。

いってしまえば
非正規社員のようなものです。

ですが会津藩から
京都に滞在する許可は出ましたし、
町の警備パトロール
任せてもらえることになりました。
大出世です。

近藤さんたちはこの頃に、
滞在していた地名からとって
壬生浪士組と名乗り始めます。

そしてこの壬生浪士組が、
新選組の前身となったのです。

 

スポンサーも決まり、
ようやくスタート地点に立った
壬生浪士組。

しかし
問題は尽きないものです。

あの有名な羽織を作るお金がない
さてどうしましょう。

 

【続きを見る】

 

【新選組が活躍した幕末とは?どんな歴史があるの?】
幕末ってどんな時代?歴史の流れを簡単に分かりやすく解説!

 

 - 歴史